アメリカ留学

 有名な学者、官僚、政治家の経歴を見ると、
アメリカ留学の経験がある人が多いでしょう。
そして、そういう人たちは、たいてい、
「アメリカは素晴らしい」と思い込んでいるかもしれません。
 しかし、アメリカ社会にも光と影があるはずなのに、
どうして、「アメリカ教」の信者となってしまうのか。
 それは、彼らが「アメリカ上流社会」へ留学したからです。
そういう留学ならば、誰だって、アメリカ教の信者になってしまいます。
 もちろん、アメリカ下流社会や貧困層へ留学しろとは言いませんが、
どのような社会にも、必ず、光と影の部分があることを忘れないでください。
 歴史を振り返れば、日本の歴史は、
「和魂漢才→和魂洋才」の歴史だったかもしれません。
先人たちは、単純に「中国教」や「ヨーロッパ教」の信者にはならなかった。
「和魂洋才」
日本固有の精神をもって、西洋の学問・知識を学び取ること(広辞苑)。

留学生たちへ

 いつか、「日本文化」や「日本のよさ」、
あるいは「日本の技術」が、世界的に認知され、
日本で学ぶ留学生が大きく増えてくるかもしれません。
そして、日本で学んだことを祖国(母国)へ伝える動きが、
大きな流れとなる日が来るかもしれません。
 しかし、そういう留学生にとって、
思わぬ「落とし穴」が用意されているかもしれません。
 日本で学んだことで、
すっかり「日本ファン」や「日本びいき」になってしまい、
祖国では「浮いた存在」になってしまうことです。
何かにつけ、金科玉条のごとく、「日本では、こうだった」と言うのですから、
自分の国では「浮いた存在」となるのは、当然だと思います。
 もう一段高い知性があれば、
「確かに、日本は素晴らしいが、
その日本にも、やはり光と影がある」と認識できるのです。
 今から、将来の留学生たちのことを心配しても仕方ないことですが、
そういう留学生が、やがて大量に出現し、
日本文化を母国に伝えたつもりが、
かえって、母国の人たちに、日本文化が嫌われることになってしまった。
そういうことが懸念されます。
 どのような文明社会にも、
必ず、光と影の部分があるのです。
しかし、知性が低いと、その「影の部分」が見抜けないのです。
 私は、未来の留学生たちに、こう言いたい。
「『日本では、こうだった。日本では、こうしていた』と言ってはいけない。
日本を踏み台にして、日本を乗り越えていけ。
それが、日本に対する恩返しとなる」と。
(注)
「金科玉条」
 本来は、いい意味で使われます。
(金玉の科条(法律)の意)最も大切にして守らなければならない法律または規則(広辞苑)。
 しかし、度が過ぎると、悪い意味になってくると思います。
たとえば、「私は、創業者の教えを金科玉条としている」という具合です。
 現代は、変化の激しい時代ですので、あまりにも過去の教えに固執していると、
時代にそぐわない、あるいは時代遅れになってしまいます。















































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